

【Cuniot Eugène dit Cuniot-Hury /ウジューヌ・クニオ クニオ・ユリー】
[1861 Mirecourt – 1910 Mirecourt]
本作は1890年頃に製作された一本です。
ウジェーヌ・クニオは1861年、フランスのミルクールに生まれました。弓製作家であった父Pierre Cuniot(ピエール・クニオ)のもとで弓製作を学び、弟子・助手として働きました。1884年に父が亡くなると、23歳で工房を引き継ぎます。
1894年、ミルクールの著名なピアノ製作家一族の娘Françoise Marguerite Huryと結婚し、その後「CUNIOT-HURY」のブランド名を使用するようになりました。
初期の作風は父の影響を強く受けていましたが、後にはC.N. Bazin II(C.N.バザン2世)の影響も見られるようになります。作風は全体として繊細で、スティックは丸型のものが多く、優雅な仕上がりを特徴としています。
工房は事業的にも成功し、1900年頃には最大12人の弟子を抱えていました。その中にはÉmile François Ouchard(エミール・フランソワ・ウーシャ)、Pierre Maline(ピエール・マリーヌ)、Louis Morizot père(ルイ・モリゾ・ペール)など、後に重要な弓製作家となる人物も含まれていました。
1910年にクニオが亡くなった後は、Émile François Ouchardが工房を引き継ぎ、後に息子のE.A. Ouchard filsも加わります。工房はCuniot-Huryの名を残したまま1922年まで続けられ、その後Ouchard pèreは自身の工房を構えました。
※本ページの解説文は、呂元富著『FRENCH BOW MAKERS』の内容を参考にし、一部を翻訳・編集して掲載しています。原文の著作権は著者および出版社に帰属します。

