

【Francois Lotte /フランソワ・ロッテ】
[1889 Mirecourt – 1970 Mirecourt]
フランソワ・ロッテは1921年までBazin[バザン]の工房で働き、その 後 5年間、Cuniot-Hury[クニオ=ユーリ]のアトリエで働いた。彼はE.F.Ouchard Pere[エミール・フランソワ・ウーシャ父親]の娘と結婚し、E.A.Ouchard Fils[エミール・オーギュスト・ウーシャ息子]の義理の兄弟となっ た。1926年、ミルクールに自身の工房を開設した。彼が育てた 助手の中には、バザンの死後、後を継いだ息子のRoger Francois Lotte[ロジェ・ フランソワ・ロッテ]もいた。
フランソワは初期の頃は優雅な作風を示していましたが、 後期にはより力強い作風へと変化しました。彼は優れた演奏性と 音色で高く評価される、高品質な弓を数多く製作しまし た。
※本ページの解説文は、呂元富著『FRENCH BOW MAKERS』の内容を参考にし、一部を翻訳・編集して掲載しています。原文の著作権は著者および出版社に帰属します。